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ある日森の中

ただただ適当に

恋に恋せよ男の子

昨日はライトノベルについて書いた。その中で私は「主人公たちが恋しねえんだよな(プンスコ)」みたいなことを書いた。どうやら私は物語の中に出てくる恋愛が好きで好きでたまらないようなのである。

最近ドハマりしたマンガ、「いなり、こんこん、恋いろは」はほぼド直球の恋愛漫画だった。「一週間フレンズ。」はストレートな恋愛マンガではないけれどそういったほのかな思いが揺らめくマンガであった。こうした感情の細やかな動き、コレを感じ取ることに無常の喜びを感じるらしい。

とはいえ昨日のブログでは少しだけ批判した「日常系」作品も別に忌み嫌っているわけではない。頭のスイッチを切った状態でアニメを見るというのは忙殺される現代社会の中で抱える心の闇から少しの間だけ解き放たれる瞬間でもあるのだ。

しかし私はこの4月に就職して以降、アニメをほぼ見なくなってしまった。時間的余裕が少なくなってしまった、というのは言い訳に過ぎず、多くの人が言うように「余裕は作るもの」、そう「かわいい」と同様余裕は作り出せるはずなのだ。それこそこんなブログ書いてる時間にアニメを見ればいいのである。

しかしどうにもアニメを見る気が起こらないのである。一応来期何が始まるのかを☑はするのだけどわざわざ録画してまで見る気が起こらない。一方で適当に原作マンガを買って読むようなことが続いている。

そんな中たどり着いた一つの結論が自分の中での「恋」という要素への異常なまでの傾倒である。おかげ様で何年恋というものとご無沙汰しているか記憶も定かではないくらい離れてしまっている。そんな私は「誰かを好きになる」という"アタリマエ"を生きるフィクションの主人公たちがとてつもなくうらやましいのだろう。彼らは自分の生きていない世界で悩み、葛藤し、自分なりに答えを出して生きていく。とても強い存在だ。誰しも自分の持っていないものを持っている人には憧れるものなのだ。だから私は恋に恋を続けているのかもしれない。

だから私は「恋」という過程に対して恐ろしいまでに執着しているのであって、「幼馴染みと排卵日中出しラブH」という出会って3秒即H的な考え方の人達には今日も疑義を呈し続けていくのだ。恋せよ男の子。