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ある日森の中

ただただ適当に

お休みの日に何しよう

以前、休日に何をすればいいのか、という記事を書いた。あれ以来何度も休日を過ごしているけれどもなんだかんだ言って家でダラダラしたり人に会いに行ったり、ヒトカラに行ったりと自分的には楽しい休日を過ごしているように思える。

私が働いている会社には半年に1回、1週間程度の長期休暇を取らなければならないという規定がある。新入社員でもありがたいことに取らせてもらえるらしい。先日「早めに取っておけよ」というこれまたありがたい訓示を頂いたので顔をひきつらせながら上司と打ち合わせをせねばならない。

私は(鉄道好きをオブラートに包んだ形での)旅行好きとして会社で通してるので「旅行に行くの?」とよく聞かれる。せっかくの休み、使わない手はないので旅行に行こうと思い今日は時刻表を買ってきた。

しかし旅行をする、といってまず「時刻表」を買うというのも最近はほとんど無いのではないだろうか。今やスマホで乗り換え案内のアプリを起動すればほとんど用が済むのである。私の旅行といえば(最近は少し変わってきてもいるが)ずっと列車に乗り続ける苦行のようなスタイルを取ることがなんだかんだで多い。そういう計画を考える時には紙の時刻表が結構便利なので長期で旅行をしようと思うときは大体買うようにしている。

このずっと列車に乗り続けるという旅行の形態、最近でこそテレビで放送されたり本が出版されていたりで少し広まりを見せているように思えるけれど依然として人に話をする時には抵抗を感じる形である。十中八九「何が楽しいの?」と聞かれる。

旅行といえばどこか観光地に遊びに行って、なんやかんや「楽しんで」帰ってくるというスタイルが「標準的」だ。私の旅行には大幅に「観光地に遊びに行って楽しんで」帰ってくるという作業が不足している。この作業が無いとイマイチ世間の人に「旅行に行った」と認識してもらえないように感じる。「楽しんできた」一連の作業を伝える1つの形態が「お土産」だと思う、というのは前に記事で書いた通りである。

notoya.hatenablog.com

お土産といえば長大シリーズになりそうなこちらの記事もどうぞ。

「お土産」の背後には「適切」なスタイルの旅行というのが存在していてそれにどれだけ重なっているかをアピールすることが職場の昼休みという時間を過ごすためには大変重要なコミュニケーション手段になり得るのかもしれない。結局ここに落ち着いてしまうわけでけれど、人はなぜだか知らぬが自分の経験を人に伝えたくなってくるもののようだし、あらゆるものが「コミュニケーション」の素材になるし発話だけには収まらない数々の戦略構築につながるのだろう。そう考えると旅行もなんだか重苦しくなってくる。

何をするにもまずは上司とのコミュニケーションを成功させねばならない。