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ある日森の中

ただただ適当に

人生一度は

昨日が中秋の名月、今日はスーパームーンだそうで秋深まってまいりました。私は今日も無為に休日を過ごしているわけだけれど、最近は1ヶ月に1回くらい日帰りで出かけられればそれでいいかなと思っている。9月はでかけてないけれど。

そんな中最近は伊勢神宮に行きたいという思いが日に日に高まっている。理由は「夜空にのぼるきれいな半月を見たから」というおぞましいほどロマンチックなものだがただ純粋にそう思ったわけではない。伊勢は「半分の月がのぼる空」というライトノベル、コミック、アニメ、ドラマ、映画の舞台となった場所であり、作品の略称が「半月」であるからにすぎない。

この作品、初めて読んだのは中学1年生か2年生の頃だった。Wikipediaにはこのように書かれている。

あとがきにて作者が語るように空想SFなどの作品が多い電撃文庫作品の中で、このような穏やかな日常を描く作品は珍しく(特に1巻が刊行された2003年前後はその風潮が強かった)、その「日常」の中で人の死を扱った作品のため、ライトノベルの中ではかなりの異色作に分類される[3]。刊行に際しては「売れなければそれで終わりだよ」と言われるなど周囲の反対が非常に強く、橋本本人はその反対を押しのけて刊行したと語っている。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E5%88%86%E3%81%AE%E6%9C%88%E3%81%8C%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8B%E7%A9%BA)

今でこそ当たり前のような「日常系」のある種の先駆けのような存在だったと言えるだろう半月持つ雰囲気に当時の私は引き込まれ、本編が完結した6巻では軽く涙も流したものだ。

原作を8巻まで揃えたのだが高校卒業時に後輩に譲ってしまい手元にはない状態が続いた。文庫版はその後登場人物のセリフを伊勢のことばに直した「完全版」がハードカバー単行本で発刊された。それもとりあえず手に取ることはなかったけれど、たまたま大学生協の企画で作者である橋本紡氏のトークショーに参加できる機会を得たことをきっかけにハードカバー版を手に入れた。再度読み返してみると当時と変わらぬ感動をまた味わうことができ、改めてこの作品に魅力に引きこまれてしまったのだ。描写は本当に「穏やか」な日常であるのは間違いないのだけれど登場人物達1人1人が背負っている「生きる」「死ぬ」という現実が深みを与えて作品を印象深いものにしていると私は思っているが、それを彩るのが実在の風景に寄り添った伊勢の描写だったのだ。

じつは中学2年生の時に伊勢は家族で訪れており、その時も原作を追いながらそれなりに楽しかった記憶もある。せっかく式年遷宮もあったことだし、きれいになった神宮とうっすら残る青春の思い出と作品への思いを胸に今すぐにでも伊勢に旅立ちたい心地である。

あとはお金とやる気とお金と休みとお金だけ。