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ある日森の中

ただただ適当に

目標や夢を持つこと

「いま私、少しだけ夢に近づきました!」

このセリフに泣いた人がどれだけいるだろうか。わからない人はSHIROBAKO見て、今すぐに。

SHIROBAKOは「アニメに関わりたい」という夢を持つ女の子たちの奮闘っぷりがこれでもかと描かれた作品だったけれど、「夢」や「目標」を持つというのは自分の「成長」にはとてつもなく大事なんだということは実にいろいろなところで言われている。短期的な目標を日々持ち続け、それを達成し続けることで少しずつ「成長」が続くというのは理解しやすいし、その積み重ねで「夢」の自己実現につなげることができれば大きく成長することができるだろう。

sasamatsu.hatenablog.com

「中長期的に豊かに暮らす」というのが「夢」だとすればそのためどうするかという「戦略」は日々目指すべき「目標」を示してくれるものだといえるだろう。

しかしSHIROBAKOの登場人物が皆眩しく見えてしまうように、「夢」を持つということは日常を生きる多くの人々にとっては難しい物になっているのかもしれない。明日自分の身が(とりあえず生きていたとしても)どうなるかわからない、ましてや年を取ったらどうなってしまうかもわからないけれどとりあえず仕事行かなきゃ、という世界で生き続けていれば「夢」もへったくれもあったもんではないだろう。しかし会社は「将来自分がなりたい姿を思い描け」と強いてくる。そうやって持たされたものは「夢」なのだろうか。

かくいう私も自分の「夢」がなんだったのか思い出せないくらいには擦れてしまっている。就職活動の時、ドヤ顔で面接で語っていた「目標」の達成に向けて自分では何をすべきなのかもよく分かっていない。目の前の仕事で完全に手一杯である。なるほどこうして「夢」への道を見失っていくのか。いっそ「夢」を持つのを止めてしまえばもう少し楽になるのだろうか。「夢」「目標」と今の自分との落差に奮起する人もいれば絶望して落ち込んでしまう人もいるだろう。私は後者だと思う。

しかし逃げてばかりもいられないし、逃げていては「ひとまず生活する」という「目標」も果たせなくなる。なるほどこれも「目標」には違いない。とりあえず生きる、お金がほしいという「目標」をとりあえず果たしながら自分をだましだまし生活している。

「少し高いところから遠くを見る時が来たんだよ」

前にも書いたこのロロのセリフが重くのしかかってくる。その時私にはなにが見えているのか。何か見えるのか。

今SHIROBAKO見返したら心臓発作で死ぬかもしれんね。