マンガがすき
私の母親は小さい時からマンガが大好きだ。お気に入り作品は『ベルサイユのばら』。セリフを見ただけでどこの場面かがすぐ分かるくらいの重度のオタだ。そんな母親から生まれてきた私、エヴァを見たがる母親とテレビの奪い合いをしたりしながらすっかりオタクとして育ってしまった。
母親からマンガを借りることが高校生くらいまでは結構あり、『山田太郎ものがたり』とか『のだめカンタービレ』とか『ピアノの森』とかを読んでいた*1。ところが最近めっきり借りることが無くなってしまった。母と話すと「あんたとはマンガの趣味が違う」と一蹴されてしまうのだが、確かに最近の私が読むマンガは現代的な萌えイラスト*2っぽいものが多いのは確かだ。
しかし中高生の頃は『のだめカンタービレ』とか読んで自分より年な"大人の恋愛"、まあ『のだめ』が大人の恋愛を描いているのかと言われれば大分疑問符がつくが、少なくとも上野樹里と玉木宏でドラマ化できるくらいにはドラマチックだった恋愛模様に心躍る瞬間だってあったわけだ。『君に届け』の純朴さ-言うなれば青臭さに辟易として見るのを断念してしまったくらいだったし、青臭い自分から目を背けて背伸びをしたかったのかもしれない。
ところが今はどうだろう。心の底から青臭さを求めている。『いなり、こんこん、恋いろは。』では行きつ戻りつの中学生の恋模様に胸を焦がし、『一週間フレンズ。』ではリセットされているようで前に進む恋愛未満の心のゆらぎに身悶えし、『月刊少女野崎くん』ではギャグマンガのストーリーの裏でじわりじわりと動く関係性にハラハラさせられ、『アオハライド』ではド直球のストーリーに胸を射貫かれていた。
結局はないものねだりなのだろう。自分が少なくとも得たとは思えない生き様、主人公たちの恋愛を通じた葛藤と成長がとても「美しく」輝いている。自分にはそんな輝きがあるのか。輝いていないからこそ輝くす形を見て自分に輝きを取り戻そうとするのか。いつか精一杯輝きたいものである。
一カラは癒し。