ある日森の中

ただただ適当に

バブみの話

今この記事を書く直前に、自分のTwitterのタイムラインを見るとなぜか飲シャン*1の話になっていて、その中で「シャンプーを飲むよりおっぱい飲みたい」というのがあった。一見シャンプーを飲むよりまともに思えるがこれも相当"キテる"意見だというのに気づくのに時間がかかるくらい私のTLは"キテる"。

 

で、おっぱいとなるとオタク関連ワードでアツい*2「バブみ」というワードがある。キャラクター(ないしはそれを演じる声優)に対して母性のようなものを感じ、そこから更に己を幼児退行させてしまうような感覚を指している。「バブみを感じてオギャる」というように使うが書いててよくわからなくなってくる。母性、ということで比較的年長タイプのキャラクターに対して使われることが多い…

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バブみの参考例(cv.茅野愛衣)

かと思いきやとんでもなく低年齢のキャラに対して感じることもあるらしい。

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アイドルマスターシンデレラガールズから赤城みりあちゃん、11歳。小学生である。Pixivで「バブみ」と検索すると赤城みりあ、艦これの雷あたりがかなりヒットする。世話焼きキャラというのだろうか、そういう手合に対して思い切り甘えたいという需要が顕在化しているようである。

この「バブみ」について少し前、「10年くらいのオタクは『俺の嫁』とか言って養ってやる!くらいの気概があったけど今のオタクは『バブみを感じてオギャりたい』とか甘えるようになってるの、キャラに対する執着が薄いのでは」みたいなツイートが出回っていた(というか確認してみたら現在進行系で出回ってる)。確かに「嫁」という婚姻関係を想定させるような語法は家族制度的には「強い」父性を感じ、極めてキャラクターとの積極的な関係構築に対する欲求を感じる。一方でキャラクターを「母」と想定し、自身を「子ども」と置いて親子関係の中に置こうとする「バブみ」は「父」との比較軸の中では極めて「弱い」存在と言えるかもしれない。

しかし本当にオタクの執着は弱くなったのか。私はむしろ自分を「子ども」という弱者側に置くことによってキャラに対する独占、言うなれば依存は「俺の嫁」時代より強まているのではないか、と考えている。「父」という言うなれば支配者から「子ども」という被支配者へ自己投影を変化させたのは確かに景気の悪化、収入の不安定化に伴う自己に対する評価の低下などの要因も考えられる。何かにつけてストレスを実感させられる社会の中で生き抜くために「効率よく」キャラに(ないしはキャラから)愛情を抱く(抱かれる)ためには「子ども」になるというのは極めて戦略的な振る舞いと言えるだろう。

もちろん「俺の嫁」思想がこの世から消滅したわけではないし、「バブみ」にはこれまで「夫婦」という政治関係でしか異性(ないしは同性)を語ることのできなかったオタク、特に男性オタクが「親子」という新しい語法を身につけることができるだけの環境が醸成されてきたということでジェンダーロール的には非常に面白いというか多様性ある社会になってきた*3とも感じられ、今後どう動いていくかを観察するのが少し楽しみでいる。またこのトピックはキャラに対する過度な依存、承認欲求の変容という観点からも語ることができるだろうし、いずれはそんな記事も書いてみたいと思っている。

ちなみに私は赤城みりあちゃんだったらよしよししてあげたい派で、バブみってよく分からないな…と思っていたのだが、アニメ刀剣乱舞を見て薬研ニキに包容されたい…と真剣に思ってしまった…これがバブみか…

*1:推し声優のシャンプーを特定して飲むこと

*2:とはいえいつぞやの勢いはあまりないように思えるけど

*3:一方でオタクは極めてジェンダーロールに対して保守的であったりもするが