ある日森の中

ただただ適当に

こんな可愛い子が女の子なわけがない

バカとテストと召喚獣」という作品と出会ったのがどれくらい前だったかよく覚えていないのだけれど、木下秀吉というキャラが非常にかわいいなと思ったのことは印象に残っている。それからしばらくした後にNHKで放送していた「magネット」という番組で「男の娘」という特集が組まれた際、秀吉が出てきてどうやらそういうカテゴリーが存在するということを知った。

まあ秀吉が「男の娘」であるかどうかというのは多分に議論の余地があるとして、とにもかくにも中性的な見た目の2次元キャラクターは結構魅力を感じるようになっているなと個人的に認識している。それは女性キャラクターについても同様で結構ボーイッシュな見た目の女性キャラクターに心躍ってしまう。以前自分好みの女の子キャラをエディットできるフラッシュがTLで話題になったことがあったのだが、その時自分の属性ゴリ押しで作り上げた女の子がこちらである。

 

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これで一人称ボクを求めたりするわけだけれどこんなんリアルにいたら地雷臭半端ない。端的に言えばフィクションとの棲み分けが図られているといえるだろうがそれもイマイチ腑に落ちないところではある。

本題はそこではなくて、とにかく男性キャラであろうと女性キャラであろうといわゆる「男性らしい」「女性らしい」見た目から少し離れたいわば「境界域」周辺にあるキャラクターに嗜好が偏る傾向が私には見られる。

しかしだからといっていつぞやの貧乳記事の時のようにいわゆるジェンダーロールに疑問を抱いていて云々というわけではなく、むしろ逆説的に徹底して性愛の対象として「女性性」を希求し続けているのではないかと思っている。

例えばボーイッシュな女性キャラであれば時折表れる"女性的弱さ”というものが普段のボーイッシュな立ち振舞と対照的に捉えられかえって際立つように捉えられるかもしれないし、たとえその対象が男の娘だったとしてもそこには男性性を体現した見た目の裏に立ち居振る舞いとしての女性性、主体が男性であるが故に自身が求める「女性らしさ」が分かってしまうところから発現してしまう女性性とのコントラストに魅力を感じてしまうのではなかろうか。

だとするならばこれは間違いなく男性であるところの私が暴力的にジェンダロールに関する規範を行使し、再生産し続けていることになる。以前の貧乳の記事を書いた後に「それは貧乳が好きなのではなく"貧乳が好きであること"そのものに自己陶酔しているのではないか」という指摘を頂いたが、これは「境界域」に魅力を感じる自分についてもあてはまるのではないだろうか。そう考えると恐ろしい物がある。

今回は2次元に思考の範囲を限定したけれど、3次元に適用可能かと言われるとそれはそれで別問題になりそうなのがまた私を悩ませるがこれはもう少し考えてみたい。

まあ結局可愛ければなんだっていいんですけどね。