ある日森の中

ただただ適当に

どれが声優?

最近ブログの更新が滞ってしまうのは仕事が忙しくて記事を書く時間がない、というわけではない。仕事が忙しいというのはあるのだけど忙しくて「頭がまわらない」というのが大きな原因だ。割とこのブログは自分の中の考えを整理する意味合いをもたせているので考え事をしないとなかなか書けないのだ。とはいえ疲れると頭が回らなくなるとは本当のようで最近は以前のようにボーッと考え事をすることが少なくなったように感じる。疲れると本当に「アレがほしい」とか「あそこに行きたい」とか欲望についてしか考えられなくなるので、どこかで性欲爆発させてる方も休めば理知的になるのかもしれない。

そんな中、先日Twitterでした話を。私の周りには「声優が好き」という人がそこそこいる。私もアニメを見ていて「この声がいいな」と思う声優さんはいる。沢城みゆきさんと小倉唯ちゃんである。それはそれで置いておいて、声優が好きという人は一体何を好きになるのかという疑問がある。「アニメのキャラの声を聞いて好きになるから声が好きなんだろう」と考えれば簡単だがそうは問屋がおろさないのである。

私は確実に「声」が好きか嫌いかで声優を判断している。能登麻美子さんを崇めて10年以上経つ先輩もこのテである。一方で「水瀬いのりかわいい」で知られる私の同期は(そろそろ本当に出演料払わなきゃと思うけれどこの間プレゼントあげたからよしということで)本人は「声で判断している」と言って憚らないが、その実「編みこみが」とか「おっぱいが」とか言ってるのでおそらく外見の要素が多分に含まれるのだろう。「種田梨沙かわいい」とか「上坂すみれのおっぱい」とか言っているのもおそらくが「外見的要素」に惹かれて「声優が好き」と言っているのだろう。

別に後者を否定するわけではないが、これは極めて興味深い捉え方だと個人的には思っている。「声優」というのは読んで字の如く「声」で演じるわけでありあくまで字義的に捉えるなら評価軸は「声」のはずである。しかし最近は演じるキャラクターから声優が遊離し「外見的かわいさ」で評価されることがかなり重視されるようになってきたように思える。

これはなぜかといえば圧倒的に声優の露出が増えたのが原因だろう。様々なイベントやアニメ雑誌に多くの声優が登場し魅力的なグラビアで彩られている。こういった「外見的」に声優が評価されるにつれ、アニメも「このキャラクターがしゃべっている」というよりも「あの声優がしゃべっている(のを媒介する手段としてのキャラクター)」というようにも捉えられるようになりつつあるのではないだろうか。これもまたアニメのみかたの多様化というか視聴スタイルの変化とも言えるだろうからかつてのオタクがどうだったのかも含めて検討してみたいところである。

ただひとつ言えるのは小倉唯ちゃんの声を聞き続けるとキャラがどうとか本当に関係なく脳みそがとろけるということである。