ある日森の中

ただただ適当に

「和解」の果てに?

ついこの間のわたし「やっぱり"物語"が合ったほうが面白いよなあ」

ごちうさを見る私「ああ…あ……あ(内部に現れる感情を表現できず言葉を失う)」

ご無沙汰しております。会社から休日を与えられた話は前回書いたと思うけれど、1週間ほど旅行に行っておりました。その直前、何やら愉快な宴が開かれるとのことでのこのこ出かけてまいりました。首謀者はこちら。

toudo-kougen.hatenablog.com

参加者は私と「対談相手」となる

sasamatsu.hatenablog.com

こちら。後観客に名乗りを上げたけったいな方3名にて横浜駅近くのとある個室あり居酒屋で魔宴と相成った。主催の意図は上に挙げた記事内に書いてあるけれど、このブログでも時折書いてきたように性行為、ないしはそこに関わる"女性"について私と笹松氏は対照的な意見を持っている(とされてきた)。ところが先月下旬突然に氏からなんともいえない「童貞力」が失われているという指摘が相次ぐようになりこのことをどう考えているか聞きたいということであった。主催者はかねてから私と笹松氏との掛け合いを見てみたいと言っていたし、TLを見るとそういう物好きな方は複数名いるらしい。というわけでご期待に応える形で遅刻をしながらも出席したのである。

会の内容そのものはid:toudokougen氏の記事を見て貰えれば概ね分かるはずなのでそちらを参照していただいて、結局私は何を言っていたのかということだけれど

  • どんな御託を並べても"ラブH"があればだいたい救われる
  • 「俺の知る笹松」を決めるのは視聴者であってそれは「笹松氏」本人を非難するのはお門違いだしむしろ「笹松語-セカンドシーズン-」を楽しめるようにした方が建設的

に集約することができるはずだ。前者については私は常々申し上げてきた通りだし、笹松氏も実際の経験の中で得心するところがあったこととなり、両者の間で認識に断絶があったHに至る過程と行為そのものは不可分だし行為そのもののにラブさえあれば大概の問題は解決するという点で両者の間で「和解」が生まれたことがこの会が「熊茸歴史的和解」と言われる所以である。

もう1点後者についてはどちらかと言えば我々笹松氏の「視聴者」に対しての考えである。凍土高原氏はしきりに「俺の知る笹松が変わった」というところを論点にしたがっていたように思えたが、そんなのは我々の勝手な思い込みにすぎないのであって私達はあくまで「Twitterで幼なじみ排卵日中出しラブHとかいう頭おかしいツイートばかりしている笹松しいたけ」という一面しか見ることができていない。それは「笹松氏本人」でもなんでもなく私達が創りだした「笹松しいたけ」に他ならない。情報を発信する本人はその日その時その状況で変化していくのは当たり前だし、その本人が発信している情報が変化していくのも当然である。その時にそれをどう受け止めるかというのは我々次第だが、ここで憤ってはそれこそしいたけ氏の手のひらの上で踊らされているのも同然ではないか。それは釈然としないだろう。どうせだったら「変化した新しい笹松しいたけ」がいかほどのものか考え、楽しんでやったもん勝ちだ。人生楽しくおいしく。

楽しみすぎると二日酔いで新幹線に乗れなくなるから適度に楽しむことが一番大事なんだなと痛感させられました。