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ある日森の中

ただただ適当に

なだらかな丘の先に見えてくるもの

これまでのエントリからしたら考えられないくらいクズみたいなエントリであることを予告しときます。

私はかねてから貧乳が好き、ということを公言している。ロリコンであるという一種の謗りを受け続けてそろそろ10年になろうとしていて、自分はこの10年何をしてきたんだと悲しくなる今日このごろ。

世間的には女性のバストは大きいに越したことが無いというのが男性的マジョリティな意見のようである。あや○るとかすみ○とか大人気だもんね。かたや日笠○子とか洲○綾とかのからかわれっぷりったら無いよね。かわいそうに。

と、私は貧乳に人権を!運動を盛んに行っているわけだけれどもそんな時よく言われるのは「おっぱいに貴賎は無い」論。これはまあ確かに理想的である。エロ同人でよく見る「好きな人の胸なら・・・大きさは関係ないよ・・・」ってやつ。1回くらい言ってみてえ。しかしこれは男の傲慢ではないだろうか。そもそも「大きさは関係ない」と言っている段階で彼女の胸は「小せえ」ってオブラートに包んで言ってるようなもんだし、その評価付けの裏には「やっぱりでかい方がいいよね」というのがちらついてるわけだし。

だからというわけではないけれど、私は基本的に「貧乳である」ことそのものに大きく価値付けを置いている。しかしなんで好きなんだろう。ちょっとだけ考えてみた。

大きな胸がロマンであるとすなら、小さな胸は可能性である。たった今思いついたこの言葉に全てが込められていそうである。胸の小さな女性は大抵その胸のことについてコンプレックスを持っている。「貧乳はステータスだ!」と誇られても「せやな・・・」で終わりであるが、「だって私の胸小さいし・・・」と言われればさっき言った「好きな人なら云々」というワードを返せるわけである。こうして見え隠れする若干の負の感情に私は惹かれているのかもしれない。そしてその負の感情の先にはそれを乗り越えようとする葛藤がある。いわゆる女子力を求めてである。そしてそこに(胸そのものも含めて)成長する可能性が存在する。小さな胸には可能性が秘められているのだ。

だから私はそんな世界を疎ましく思い、抵抗する小さな胸に最大級のエールを送りたいのである。大きな胸にロマンを持つ人々は大いにロマンを持つが良い。なぜならそのロマンが存在しなければ我々は抵抗する相手を失ってしまうからである。ガンバロー三唱である。

こんな講釈垂れる私も胸で色仕掛されたら多分一発だと思うんでちょろいもんですわほんと。