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ある日森の中

ただただ適当に

休日の過ごし方

ついさっきまでテレビで旅番組を見ていた。なんだか日本の「最高の宿」をめぐるみたいな内容のやつ。いっくら風呂とか部屋の雰囲気とかが最高の宿に行ったって他に何かするわけでもないのになんか楽しいことあるのかなあ・・・と思ったところでどっかに出かけたってずっと列車に乗り続けていたりする私と大して変わらないことに気づいてちょっとセンチメンタルな気分になってしまった。

出かける、ということに関連して今日は1つ。4月から社会人なんぞになったわけだけど、仕事柄土日に連続してお休みをいただけることがほぼ無い。平日に1日お休みをいただくことが非常に多いので、平日に出勤していくTLに大して「フハハハ」と安い笑いを浮かべることが最近の生きがいになりつつある。対価として日曜日とか休日に死んだ目をして出勤というジョブを支払っているけれど。

で、そういう貴重な休みの日の過ごし方について最近思うところがある。会社の同期とか見ていると休みの度に友達と遊んだり、買い物とかに出かける人がかなり多いというのになんだか驚かされる。驚いてもっと見回してみると、TLにも平気で日帰りでどっかに行って帰ってきて平気な顔して(してないのだろうけど)翌日出勤していく人の多さに面食らってしまった。

私の特に何か用事もない休日の過ごし方といえば正午近くまで睡眠を楽しんでから起き、午後もPCに向かいながら特に何をするわけでもなくボーッとしているうちに日が沈み、休みが終了していくのを切なく思いながら床につく、といったものである。

仕事をしている時はそういう「何もしない休日」に焦がれたりしているわけだから現金なものだがとにかく実際に「何もしない休日」を過ごすことになんだかモヤモヤしてしまうのである。

ということをTwitterでつぶやいてみたら、「休日にしたいことを事前にリスト化しておくといい」と言われた。なるほど賢いな、と思ったのだがそうすると「休日」が「自分に課した何らかの"義務"を消化しなければならない」という強迫性を帯びた日になっていくのではないかと危機感を私は抱いてしまう。多分休日を「有意義」に過ごすということはそういう脅迫感とお友達になることなのかもしれない。

とはいえ私も「何もしない」休日を過ごすことに対してモヤモヤを抱いている段階で「有意義に休日過ごしたい」強迫観念とオトモダチになれる素質は十分あるのだろう。

残念ながら私はとてつもなく出不精である。家族揃って出不精なのだから休日に「どこかに出かけよう」という意見が全く出てこない。そんな家庭で育ったからこそ、危機感も人一倍なのかもしれない。しかしこれではいけないと思ってどこかに出かけようかと少しでも思うと自分の中で「いやお金がない」とか「かえって疲れる」とかそういう意見が出てきて出かけようとする気分を盛り下げたりする。だから「なにか必要になった時」以外に出かけることは全くと言っていいほどない。とはいえ行き先は横浜か秋葉原がほぼ全てである。救いがない。

休日は「有意義」に過ごさなければならないのだろうか。そもそも出かけることが有意義なのかということにも議論の余地はあるし、家で趣味に(私の場合は鉄道模型いじりか)打ち込むのもまた「有意義」ではないかとも思う。とはいえ今の自分はそれすらもやる気が起こりきっていない。いずれボーッとなにもしないで過ごす休日も「有意義」と思える日が来るかもしれない。

こんなことしてないでどっか行って出会いの1つでも見つけてくればいいのにね。